つまりそんなこと

山内惠介さんを応援する妙齢女子の呟き。スケートシーズンはそっち寄りになります。

拝啓、ジェーン・オースティン女史

集いがあった。
小さな家庭集会なので私は勝手に『小さき羊の群』と呼んでいる。
代表的立場の熊兄は『◯◯・◯◯キリスト教家庭集会』という長ったらしい名前を付けつているらしいが…(あ、◯◯には隣接する市が入ります。参加者が2つの市にまたがって居住していますので)

で、賛美からメッセージ、祈りの時間の一連の流れの後の茶話タイムで天国の話になった。

シャーウッド兄がアスペルガーを告白するとアスペルガー分類学を読んだという熊兄は「シャーウッド兄は尊大系アスペルガーですよね」とワケの分からぬ事を言い笑いを取った。
仕方ないので私も自身の発達障害を告白した。
シャーウッド兄に引きずり出されて職とコミュニティを得て社会復帰したラッパ兄は元引きこもりで紙子姉は自覚の無い発達障害………我が群れはかなりヤバいのではないだろうか?

では、天国の話に戻ろう、シャーウッド兄が「紙子さんは天国に行ったらどんな感じかな?」と言うので私は「紙子さんは天国でもすぐ分かると思います」と答えた。
熊兄が「すぐ分かるってどうして?」と言うから「あ、紙子さんだ!ってすぐ分かる思います」と再度答える。
シャーウッド兄が「天国に行ってこの中の誰か1人がいなかったら……」と言いかけたので「その時は、あ、あの人まだ生きてるんだ?百歳超えてるんじゃない?って思いますよ」と答えた。(だって天国にいないって事は信仰が本物じゃなかったって事になるではありませんか?)
熊兄が「あの人まだ生きてるって………」と苦笑するなかシャーウッド姉が「皆さんさ、私達が全員天国にいける前提で話してるよね?」とコロコロ笑う。
シャーウッド兄は「大丈夫、ここにいる全員は間違いなく天国に行けます!」と力強く断言した。
熊兄姉、シャーウッド兄姉、ラッパ兄、紙子姉、そして私。
リバイバルが訪れてもこの中で私だけは天の御国に入れない事を私自身が知っている。
私は神にその罪を赦されていながらどんなに努力しても許せない人物がいるのだから。
口で「許す」ということは難しくはない、むしろ簡単だ。
かつての私はある人を許したつもりでいながらも、ふとした瞬間に自分の中にその人に対する怒りが沸いてくるのを感じていた。
10年も経ったころだろうか?私の中にその人に対して「私にも悪い面があったんじゃないのか?私もその人を傷つけたんじゃないのか?私もその人に許してほしい」という感情が芽生えた。それは突然の事だった。その時、私は自分がその人を完全に許した事を知った。

しかし、私には今、いくら「許す」と口で言っても完全に許せていないんだろうと思われる人物が存在する。その人が私の人生に介在したことにより私はお一人様になったのだから。そして、その人も「あなたを許すわ」と言いながら今も私を憎んでいるのではないかと思う。その人が自分の夫と同じくらい好きだった人が私のパートナーだったから。
………私達の間にトラブルがあった事を群れの皆さんは多少なりとも知っている…そのうえで私も間違いなく天国に行けるなどと本当に思っているのだろうか?

この世界は狂っている。少なくとも私の回りは。
私は何故、夫のいる人にパートナーとの仲を割かれても尚その人を許していないという自分の感情に苦しまなければならないのか?