つまりそんなこと

山内惠介さんを応援する妙齢女子の呟き。スケートシーズンはそっち寄りになります。

拝啓、トム・ソーヤ殿

今週のお題「海」

歳はとりたくないものである。
脳にクモの巣がはり、すっかり記憶が霞みの向こうに閉ざされてしまったようであることよ。

海での楽しい思い出なんて私には欠片も無いわ………欠片?……あれ?…拾ったやん?浜辺でキラキラの欠片をさ?

小学生の頃は夏休みや冬休みになると一駅隣の祖父母の家に子供だけで1週間弱のお泊まりが通例であった。姉と2人、宿題なんか部屋に置き去りにして泊まりに行ったものだ。
姉と同級の従姉妹は祖父母宅から歩いて30分もかからぬ所に住んでいたが一緒に泊まり込んだ。
スーファミが世に出る遥か昔日の話である。
トランプと花札とお絵描き、エポック社のゲーム位しか遊ぶモノは無いのだ。
テレビだって孫達にチャンネル権はなく時代劇の再放送をひたすら見続けさせられる日々。
自分達で新しいゲームや遊びを生み出して過ごしたあの頃、まだ習い事をする子が珍しく時間だけはたっぷりとあった。

おやつも豊富である。
パチンコ好きな祖父が孫達が泊まりに来るその日の為にと溜めに溜め込んだ段ボール箱一杯のお菓子!山のようなチョコやキャラメル等を文字通り山分けするのである。茶の間には大きな青い缶があり中には宝石のようなゼリービーンズやチャイナマーブル、祖父が好きな黄粉ねじりやオカキが入っていて自由に食べる事が許された。その青い缶は形見として今は私の手元にある。

遊びにも飽きた夕暮れ、仕事を終えた祖父の乗った列車が駅に着く頃合いに3人で橋の側まで迎えに出た。
欄干にもたれて待っているとケーキの箱を下げたシルエットが近づいて来る。あの喜びを現代の子供達も味わっているのだろうか?

祖父が休みの日は川辺で草笛を吹いたり笹舟を流して競争したりの外遊びだ。
たまには海まで歩いて行ったりもした。
浜辺に私達以外に人のいた記憶は全く無い。
そこで硝子瓶の欠片を拾い集めた。
割れた瓶の欠片が波にもまれるうちに角が取れた色とりどりの欠片にシーグラスなんて洒落た名前があることなんて勿論知らなかった。ただ珍しく、ただ綺麗だから夢中で探しただけだった。
スプライトの緑色の欠片が1番人気だった。ビール瓶の茶色は数が少なかった。
後にペットボトルが発売されるなんて夢にも思わなかった時代の話である。
天気が良ければ裸足になり砂浜に並んだ。波が押し寄せるギリギリまで待ってから踵を返し走って逃げるのである。いわばチキンレースのようなもの。
1番最初に逃げればれば負けだし波で脚を濡らしても負け。
3人で砂浜に踏ん張って波に耐えるという遊びもあった。予想以上に威力のある波が来ると捲り上げたズボンの膝あたりまでずぶ濡れになる。
同じ場所に立っていても同じレベルの波が規則的に押し寄せるワケではないのだ。
何もないから日々、新しい遊びを自らが生み出して楽しんだ、そんな時代の海の思い出がどうやら私にもあったらしい。