つまりそんなこと

山内惠介さんを応援する妙齢女子の呟き。スケートシーズンはそっち寄りになります。

什分の1は多いのか?

本日は日曜日、礼拝に出掛けます。
礼拝といっても小さな家庭集会です。
宗教法人だったとある教会をとある理由で退会した少人数の群れです。

リーダー的兄弟の自宅が礼拝場所です。
玄関はゆとりのある広いスペースで上がりには丸テーブルが置かれています。
中央に鎮座した黒い箱………これが献金箱です。
月初めなので私は1万円札を滑りこませます。
これが私の1ヶ月分の献金です。
以前は週に千円ずつ献金していました。

基本的にキリスト教献金というのは「収入の十分の一」と言われています。
前教会のある姉妹は「どんなに貧しくても十分の一なら出せるでしょう!」と言っていました。
ですが最低賃金の時給労働者の私には十分の一を献金することはなかなか出来ませんでした。
確かに聖書には什分の1を収めるよう示唆した箇所はありますし貧しい者が全財産である1枚のコインを献金し群衆の前で称賛される箇所もあります。
また、自分の土地を売った夫婦が売却代金の一部を自分達用に取り置きして全額を献金しなかった為に神の怒りにふれ二人とも命を失うというノンクリスチャンには刺激が強い凄まじい箇所もあります。

献金箱(あるいは袋)に幾ら納めるかは悩みどころでしょう。
だから収入の十分の一と明確になっている方がいいのかもしれません。

たとえば御朱印代や節分・七五三の御祓い代が「志」と書かれていたら幾ら払うべきか悩むでしょう?
でも、明記してあれば安心ですよね?
なんだったら5千円の神社より3千円の神社に行きたくはありませんか?
安いから御利益がないとは思わないでしょう?

さて、私は何故、月1万円を献金することにしたのでしょうか?
前所属教会の姉妹の御子息が亡くなり、私達の群れから連名で御花料を出すことになりました。
私は「3万円くらいかな?」と考えました。
最初は「3万円でいいですか?」と承諾を得ようとした兄弟に「とてもお世話になったのだから」という意見が出て「では、献金から5万円出します」と決定。(勿論、式に列席して個人的に御花料を包んだ方もいたようです)
その時にある姉妹が「献金から5万円出しても大丈夫ですか?残金はどのくらい?」と聞くと「30万円ほどです」との回答。
「え?そんなにあるの?」聞いた姉妹は驚きました。
私達の群れはまだ集まって1年未満の集団です。
しかも基本的な構成員は7名で常に全員が集うワケではないのです。
驚いた姉妹と私以外のどなたかが十分の1を実践して更に上乗せしているのだろうと考えられます。

この時、私は身を削る覚悟を決めたのです。
といっても過去ブログに種明かしがあったりします。
月1万円以上かかるサプリを解約してその分を献金に回したのですもの。

我が群れはいずれ資金を正しく運用するキリスト教団体を見つけ献金する予定であるが、とりあえず献金を使って皆でレクレーションを行ったのです。
(過去blogの釣り堀エピソードがそのレクです)